モノクロームの意義
古来より人は色彩というものを非常に重要視してきた。
色は美しさを表現するのに欠かせないファクターとして認識され、古くは稀少な天然の顔料や染料が高値で取引された。
名画とされる絵画を見ても、やはり豊かな色彩を持つものがほとんどだ。
画家の中には色に魅せられるあまり、借金をしてまで高価な顔料を購入する者も少なくなかったという。
『真珠の耳飾りの少女』や『牛乳を注ぐ女』などの作品で知られる17世紀を代表する画家、Johannes Vermeerも理想の青色を表現するために当時金よりも高価だったウルトラマリン(ラピスラズリという宝石を原料とする顔料)を作品に用いていた。
"monochrome"
写真好きなら誰もが知るこの単語は「白黒の」「単色の」という意味以外に「退屈な」「つまらない」といった形容詞としても使用される。
色という魅力的な情報を欠いているわけだから当然そのような意味合いを持つのだろう。
以前、ある写真展にお邪魔した際に主催の方が「モノクロの写真はウケが悪い。白黒というだけで目もくれずに素通りされることもある。」とぼやいていたことを思い出した。
しかし、Henri Cartier-BressonやVivian Maierなどのモノクロームフォトグラフィーで有名な写真家が多数存在することもまた事実である。
1940-60年代のストリートスナップではむしろモノクロームフィルムを用いた撮影が主流だった。
これには20世紀半ばにおけるカラーフィルム現像の技術的・金銭的側面も関係しているだろうが、モノクローム撮影にある種の優位性があるということの証明でもあると思う。
モノクロームの特徴は、色彩の情報を捨て去ることによる強制的な画面の統一と構図・光の強調だろう。
また、植田正治氏などの作品を見ているとモノクロームには見慣れた日常をどこか非日常的に演出してくれる効果もあるように感じられる。
いつもの景色をモノクロームで撮ってみるとまた新たな発見があるかもしれない。
愛すべき二面性
今年の夏も非常に暑く、去年に引き続いて新潟や山形などで観測史上の最高気温が記録された。
気付けば「猛暑」という言葉に対してすっかり鈍感になってしまっている。
8月の某日、ポートレート撮影を頼まれて出かけた先の最高気温は38.4℃とその日の全国1位を記録するほどの暑さであり、少し歩いただけで体が茹だるようだった。
炎天下での撮影はやはりハードでかなり体力を消耗したが、燦々と輝く太陽とレンズの相性が良かったのか、絞りを開いて少しハイキーに寄せると淡い色合いで柔らかい質感の写真に仕上がった。
あまりに気に入ったので、風景も同じセッティングで、と撮影したのがこの一枚である。
ほぼ同時刻に上の写真の撮影場所からほど遠くない場所で今度は絞って撮影したのがこの一枚。
両写真には全く手を加えていないのだが、コントラストや発色の仕方が対照的とも言えるほど異なっていて、同じレンズでも絞りこむだけでここまでキャラクターが変わるのかと驚く。
この特性は球面レンズであることに起因しているのだろうか。
手持ちの現行Leica非球面レンズではこうはならない。
とりあえず現行製品を買っておけば安心かと思ったが、どうもそんな簡単な話ではないらしい。
ミラーレスカメラの登場により近年著しい高騰が続くオールドレンズ。
状態の良い個体数が年々減っていることを考えると、購入を優先すべきは現行レンズではないのかもしれない。
徒然なるままに
Leicaを購入しようと考える方の一助になればと思い、自分の撮影した写真整理も兼ねてブログを始めることにした。早速、直近で撮影した写真を投稿しておく。
9月に入ったというのに空に鎮座する大きな入道雲に感動して撮影した一枚。
通り雨をやり過ごす。水溜まりのリフレクションが美しかった。